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つながりとよそ者 鬼頭秀一

さて、前回の話に少し関連させつつ、環境について考えたいと思います。 自然保護において、普遍的な視座が持つ意味という話題です。

鬼頭秀一さん

今回取り上げるのは、鬼頭秀一さんという環境倫理学者の方です。 鬼頭さんはもともと薬学系の勉強をされてたのですが、公害問題への出会いから、 科学哲学の方向に進まれて、科学と社会の関係を考え直し、環境倫理という領域で、 研究活動をされてきました。 私もエンジニアとして、技術と社会の関係はそれなりに複雑であるのに、 そのことについて企業の技術者は特に深く考える必要性を感じてないことに違和感を覚えていました。 そういう意味で、鬼頭さんの問題提起と概念整理は多くの技術者に触れてほしいものだと感じています。

よそ者論の射程 普遍的な意味付けという役割

 鬼頭さんの考えを知るのに調度良く、Webで見れる論文があります。

ci.nii.ac.jp

鬼頭さんのキーワードの一つである「よそ者」の役割についてこの論文では以下のように述べられています。

「よそ者」は 地域に埋没した生活では得られにくいより広い普遍的な視野を環境運動に提供 し、ごく当たり前だから気づかされない 自分たちの自然とのかかわりを再認識する などの新たな視点を外から導入する役割がある。

この論文で取り上げられているのは、諫早湾奄美大島の自然保護問題という具体的なものですが、ポイントとしては利害、利益関係を超えて、人をつなげる重要な役割をもつ、普遍的な視点とそれを供給できる「よそ者」の立場です。

共同体、コミュニティという言葉はそれだけでいいものとして語られることも多いですが、多くの場合、利害関係だけでつながっており、長期的な価値より、短期的な利益を優先して、二項対立図式を作って、反対勢力を攻撃するという図式にもなりやすい。難しいのは例えば諫早湾のように、公共事業を受け入れて、生活を守りたい住民と、環境を守りたい自然保護側の対立が明確に線が引ける形にはなってないということです。これは沖縄の基地問題でも同じでしょう。経済的なことを考えると受け入れざるを得ないと考えてきたけれども、状況に応じて変わっていかないといけない。しかし、利害関係がそこにあると変化は難しいのかもしれません。公共事業による負の側面はメンタリティを含めた構造的な問題なのだと思います。

この論文では一人の「よそ者」の存在によって生じる、変化のダイナミズムを捉えています。運動において重要になるのは、地域の住民に「共感」し、彼らの思いを整合的に理解、普遍的な意味付けであることを示しています。

このように自然保護と人のつながりとそれによって生じる変化のダイナミズムは密接に関係しています。それは日本だけでなく、多くの地域で、人間は環境と相互に作用しながら暮らしてきたのであり、その相互性を意識する視点が、これからの環境問題と向き合う上で重要になるのではないかと思います。

次回に続きます。